【西村ユミSTORY】2章:西村ユミ、なりゆきで決めた看護の道。いつしか培われていた『ゆずれない看護観』

 

こんにちは。いえだ ゆうです!

 

看護師による看護師のための新しい生き方を応援する情報メディア『看護+ONE』を運営しています。

インタビュー:マイストーリー

いえだゆうが人生の大先輩にお会いし、幼少の頃から今に至るまでのお話を聞かせて頂き、魅力開花のコツを学ばせて頂こう、という企画です♪

 

今回のゲストは、首都大学東京大学院看護科教授である「西村ユミ先生」です。

 

2章では、スポーツ少女だった西村ユミ先生と看護の接点が明らかになります。

 

いえだゆうの視点から、西村ユミ先生の魅力開花のコツを発見していきます!

さあ、いえだゆうと一緒に魅力的な人生の旅に出かけましょう(●^o^●)

 

1.夢はスポーツ選手の治療ができる医者だった。進学できた看護の道でモヤモヤ。

 

小学校の頃から、スポーツ少女だった西村ユミ先生は、中学校から、ハンドボールにのめり込んでいかれました。

西村ユミ先生
ハンドボールというクラブをずっとやっていて、結構身体が大きかったから、すぐにレギュラーになって。
いえだゆう
すごーい!
西村ユミ先生
コーチがものすごい熱心な先生で、朝も昼も夜も練習。お正月以外は、クラブ活動みたいな感じでやっていたの。今だったらありえないくらい厳しい練習で、もう駄目だって思ったら、そこからだと言われるような(>_<)
いえだゆう
そっか。そこで、根性きたえられたんですね!
Name

コメントそれは、すごく、鍛えられたと思う。

そんな感じで、ず~っと熱心にクラブ活動に取り組んでいて、高校に行っても熱心に続けていて。

 

スポーツ推薦の話もくるような実力のある選手だった西村ユミ先生。

そんな、ある日、事件が起こります。

西村ユミ先生
クラブの練習中にお腹にボールが当たって、たまらなく痛くなって。
いえだゆう
え~???大丈夫やったんですか?
西村ユミ先生

たまらくなって、帰って様子みてたんだけど、結局、入院になって。でも、お腹の痛みの原因が全く分からなかったんです。次の日が大事な試合だったんだけど、入院していたから、試合にも出れず、それがすごいショックで。(西村ユミ先生不在で戦った試合は、負けてしまったそうです)退院したのに、1,2か月間は、高校に行く気力がわかなくなったんです。

 

これまで、毎日、一生懸命クラブ活動に励んできた西村ユミ先生でしたが、大事な試合に出れず、「チームが負ける」という苦い経験をしました。その影響で、西村ユミ先生の心には、大きな穴が開いてしまったようです。

 

毎日、まじめにハードな練習をこなしてきた西村ユミ先生が、12ヶ月も休んでしまうなんて、相当ショックを受けていたことが考えられます。

 

その後、クラブの顧問のおかげで、1か月後に試合に復帰して、クラブに戻り頑張っていたそうですが、膝に致命的なケガを負ってしまい、顧問の先生に責められてしまいます。

 

その顧問の言葉がひどかったため、「なんで、わたしが怒られないといけないんだ!」という反発心が芽生え、『スポーツ選手の治療ができる医者になりたい!』という夢を抱くようになったそうです!

 

先生が医療に興味を抱いたきっかけは、看護師ではなく、お医者さんだったんです。

 

そこから、医学部進学を目指して、猛勉強を始められたそうですが、受験シーズン真っ只中ということもあり、スポーツ中心だった西村ユミ先生の受験勉強期間は短かった(>_<)

 

最終的に受かったのは、医学部ではなく、親や周りが進めた看護の道。

 

浪人生活は認められなかったため、「いつか医学部に編入するぞ!」という思いで、看護の道に進むことになりました。

 

その一方で、何事にも一生懸命頑張る西村ユミ先生は、看護実習に楽しさを見出され、看護師の道に邁進していくことになります。

 

2.ケアプラン:「花見に行きたい」

 

看護実習に面白さを見いだされた西村ユミ先生は、看護師として働き始めました。

 

病院の配属先は、神経内科病棟。

 

西村ユミ先生が勤めていた病棟には、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さん、脳血管障害の手術ができない患者さんなど、自分で動いたり、言葉を話すことができなくなってしまった患者さんが多くいたそうです。

 

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気は、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。そのため、歩けなくなったり、声が出しにくくなったり(構音障害)、水や食べ物ののみこみもできなくなったり(嚥下障害)します。一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。

西村ユミ先生
ALSの人で呼吸器をつけている人は、話すことができなくなるので、文字盤を使ってコミュニケーションをとっていたんです。

 

病気が進行したALS患者さんにとって、身の回りのお世話してくれる存在はとても貴重です。筋力が落ちるので、身体の向きを自分で変えたり、ナースコールのボタンを押すことすらできなくなることもあります。

 

そんなALS患者:Aさんの代わりに、そばにいる奥様がナースコールを押してくれたり、苦しみを知らせてくれたり。いつも、献身的に支えてくれていたそうです。

西村ユミ先生

そんなある日ね、「Aさんが、どうしても言いたいことがある」っていう顔をしていたの。そして、文字盤でひとつずつ文字をおさえながら、コミュニケーションをとっていたの。

いえだゆう
うんうんうん!
西村ユミ先生
すると、Aさんが、「奥さんに温泉に行ってきてよと伝えて」とか、「花見に行きたい」とか、私にいうわけ。

 

西村ユミ先生をみていたAさんは、「この人ならなんとかしてくれるかもしれない」と思って、伝えてみたのかもしれませんね(^_^)

 

Aさんの読みが的中したのか(笑)、患者さんの胸の内に秘めた思いを知ってしまった西村ユミ先生は、放っておけなくなります。

Name

そして、ケアプラン:「花見に行きたい!」ってなったのよね(笑)でも、そういう計画を立てたら先輩たちに「大変やんかー」と怒られて。

いえだゆう
普通そうですよね(^_^;)
西村ユミ先生

でも、みんなが泣いて怒りながら、やってくれたの。プランがハードすぎるって言いながら(>_<)

いえだゆう
それは、すごいですね。患者さんの思いに寄り添う、素敵な病棟だったんですね~。
西村ユミ先生

他にも、今では当たり前だけど、当時は珍しかった「インフォームドコンセント」について医師と議論したり、「プライマリーナース制度」を現場に入れてもらえるように師長さんに話を持っていったり、患者さんが退院後にも、適切なケアが継続して受け入れられるように、「地域のケアプラン」を考えたり(訪問看護が始まる前の話)。すごく、一生懸命、色々と取り組んだの。

2年間、充実した時間を過ごしていたんだけど、大学に戻るために病院を辞めるとなった時に、師長さんは、ほっとした顔をしてた気がするわ(笑)

いえだゆう

あはは。でも、それだけ新たな試みを提案して、みんなが協力してくれるってすごいことですよね。現場で意味がないと思われたら、すぐに却下になるだろうし。

西村ユミ先生
熱心にやっていたら、それを受け止めてくれる人たちがいて、つながっていった感じかな。

 

西村ユミ先生が現場で働いていた当時は、インフォームドコンセントも訪問看護制度も珍しかった。そこに、疑問を持ち、患者さんにとって一番のケアは何かを常に考え、看護の道を歩んできた西村ユミ先生。その熱心な思いが、周りの人々を動かし、巻き込んでこられたんですね(^^

 

3.医師との口論で気づいた『ゆずれない看護観』

 

常に、一生懸命で頑張り屋な西村ユミ先生。

看護師として神経内科病棟で働いた経験が、西村ユミ先生を研究の道に向かわせていき、「植物状態の患者さんと看護師の関わりを明らかにしたい」と思うようになられました。

西村ユミ先生

植物状態の患者さんと看護師の関わりを明らかにするためには、生理機能評価ができる技術を身につけなければならないと言われて、修士課程は、看護以外の大学に行ったの。そこで、生理機能評価の技術を身につけたので、植物状態の患者さんの研究に活かしたいという思いと、スポーツ治療のできる医師になりたいという思いも捨てきれず、博士課程の進学先を悩んでいたの。

いえだゆう
うんうん。
西村ユミ先生
そんな時に、若い医師と植物状態の患者さんの話をしていたら、意見が合わなくなって、けんかみたいになっちゃったの(^_^;)
いえだゆう
へ~。
Name
それを聞いていた指導の先生が、「西村さんみたいな医師がいると面白いよね」って言ったんだけど、その時に、「私みたいな医師って、私は看護教育を受けてきたからこういう発言ができるんです」と思って。そこで、はっきりと自覚して、看護に戻ったの。

 

スポーツ選手の治療ができる医者になりたいという思いを抱きながら、モヤモヤした気持ちで看護の道に進んだ西村ユミ先生でしたが、看護実習や看護師として働いた経験から自分が何とかしたいというテーマに出会っていました。

一方で、「スポーツ治療のお医者さんになりたい!」という夢も捨て切れなかった西村ユミ先生。

しかし、医師と口論になったことがきっかけで、「看護教育を受けたから今の自分がいるんだ」という価値観に気づかれ、自分の中に「ゆずれない看護観」が芽生えていたことを発見されました。

 

どんな内容で口論になったかという具体的なエピソードは覚えていないそうですが、その後は、「看護を軸に研究をしていきたい」という思いを強く持たれた西村ユミ先生は、看護の世界に戻り、研究の道に邁進されていかれました。

 

その後、毎日、看護現場に入り、看護師さんから話を聞いたり、現場を見たり、1年間という長きにわたる調査を続けられました。そして、調査が終わり、データを分析し、言語化していくプロセスが楽しく、もっともっといろいろな看護を紹介したいと思われるようになって行かれたそうです。

 

「卒業して10年かかって、ようやく、自分はナースなんだと思えた」と語ってくれました。

 

西村ユミ先生が、「研究したい!」と思った当時の思いは、序章で書いています!

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4.まとめ

 

このゆび読者のみなさま。

 

いかがでしたでしょうか?

 

西村ユミ先生は、自分が目指したい道とは異なる道に進まれたため、別の道で前向きに頑張りながらも、その都度、自分の進路にも悩まれていました。

 

いえだゆうも同じです。自分が進みたい道には進めず悩んでいました。

 

実際のところ、今働いている人の中で、自分がなりたいと思った職業に就けている人って、どれくらいいるのでしょうか?

 

1割にも満たないという話も聞いたこともありますが(>_<)

 

もし、あなたが自分がなりたかった職業に就けて幸せを感じているのであれば、それは、すごく奇跡的なことです!ぜひ、その道で働けていることに幸せを感じつづけてほしいですね♪

 

でも、残りの9割の人は、自分がなりたいと思っていた職業とは異なる職業を選択していることになります。

 

では、9割の人々は、みんな不幸せなのでしょうか?

 

そんなことはありません。

 

西村ユミ先生のSTORYが、たくさんのことを教えてくれています。

 

もし、医師になりたかったけど、看護の道に進んだ西村ユミ先生が、看護に一生懸命に向き合ってこなければ、今の西村ユミ先生の仕事は生まれていませんでした。

 

自分がやりたいと思っていたことと、今やっていることは違っている人。

 

自分が目指していた道に進めなかったとしても、目の前のことに熱心に向き合い、やり続けてみたら楽しくなってくることもあります。その結果、その道が、自分に向いていることにつながっていきます。

 

「今のあなたが知っているあなた」は、あなたの一部分であり、あなたの興味はどんどん変わっていきます。

人間は多様であり、新しい可能性もどんどん拓かれていきます。

 

あなたが、今、やりたい仕事に就けていなかったとしても、目の前に仕事があるのであれば、その仕事に一生懸命取り組んでみることをおすすめします。

 

すると、いつのまにか、今までとは異なる新しいあなたが芽生えているかもしれません。

 

人生はどうなるか、わかりません。

 

いえだゆうも、こんなに長く看護現場に居続けるとも思っていませんでしたし、「好きな仕事をしてる人にインタビューをしたい!」「ブログで発信したい!」など思うようになるとも思っていませんでした。

 

人生はどうなるか、本当にわかりません。

 

だから、面白いのでしょうね(^_^)/~

 

さあ、読者のみなさま。

 

あなたは、今、何に関わっていますか?

 

今、目の前のことに一生懸命に向き合っていますか?

 

今、目の前のことに一生懸命取り組んでみましょう。

 

その先に、新しいあなたらしさが生まれてくるのかもしれませんね(^_^)

 

楽しみにしておいてくださいね~(^^♪

アップしましたー!

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