こんにちは。いえだ ゆうです!
看護師による看護師のための新しい生き方を応援する情報メディア『看護+ONE』を運営しています。
インタビュー:マイストーリー
いえだゆうが人生の大先輩にお会いし、幼少の頃から今に至るまでのお話を聞かせて頂き、魅力開花のコツを学ばせて頂こう、という企画です♪
今回のゲストは、首都大学東京大学院看護科教授である「西村ユミ先生」です。
3章では、看護の道で生きていこうと決心した西村ユミ先生が、どのようなキャリアを歩んでこられたのか見ていきたいと思います。
いえだゆうの視点から、西村ユミ先生の魅力開花のコツを発見していきます!
さあ、いえだゆうと一緒に魅力的な人生の旅に出かけましょう(●^o^●)
1. 「とにかく鷲田さんの話を聞いてみたい」と思ったの。
植物状態の患者さんと看護師との関わりを『現象学』を手がかりに研究された西村ユミ先生。
看護とは異なる分野の人との出会いは、どのように始まったのでしょうか?
「とにかく話を聞いてみたい」と思ったの。その出会いが始まりで、鷲田さんが東京に来たときに、私の研究論文を見てくれたり、私が大阪に行った時に見てもらったりするようになったの。
「植物状態の患者さんと看護師との関わりを明らかにしたい!」という強い思いを抱いていた西村先生。一方で、探求したいテーマをあきらかにできる方法論になかなか出会えず、試行錯誤の日々。その中で、『現象学』に出会い運命が変わります。
「言葉になりにくい人と人との関わり」は、客観的なデーターを基準とする研究方法では、切り捨てられてきました。一方で、現象学の中では、「言葉になりにくい人と人との関わり」を言語化していく作業が重要な手がかりとなりました。そのため、看護師さんたちの一つ一つの言葉に丁寧に向き合い続け、看護実践の言語化・意味付けすることに成功されました。
このような調査を続けたことで、現場で働く看護師さんたちも、自分たちの実践を振り返る機会となり、研究者と現場の看護師さんたちとの間に良い関係性が生まれたと思われます。
西村ユミ先生が成功したきっかけとは、自分の問いには固執しながら、周りの人のアドバイスには耳を傾け、「心から会ってみたい!」と思った人に会いに行った先生の行動力にあったと考えられます(^ ^)
2. 「照らされていなかった道」をみんなで切り拓いた活動が出会いの基盤
その後、西村ユミ先生は、現象学を手がかりに博士論文を書き上げた後に、大阪大学で新たに始められたCSCDというセンターで働き始められました。
CSCDとは、専門的知識をもつ者ともたない者の間、利害や立場の異なる人々の間をつなぐコミュニケーション回路を構想・設計・実践することをめざして設立された機関です。(2016年7月からは、知と社会の統合を目指すCOデザインセンターに変更)
CSCDはタスクがあったからね。「照らされていない道をみんなでつくっていかなければならない」っていう思いがあったから、「人脈を作らなければならない」って考えて動いたわけではなくて、とにかく新しい科目を立てて、学生さんたちに来てもらって、私たちが外に出て行って、社会との交流を作ろうっていう目的があったから。
その活動の中で、出会った人たちと関係性を作ってきた感じかな。哲学系の人やアート系の人、医療系の人など、さまざまな分野の人々と出会いました。
あの頃は、いろいろな人と継続して会い、自分たちで企画したことに一生懸命に向き合っていて。いつも同じ!「熱心に取り組んでいたら、つながっていった感じかな。きっと変わらないんだろうね。
目の前に大事なことがありますので、一つ一つ丁寧にやってみる。やっていると意外なこととつながったり。でも、「つながりを作るために目の前のことをやる」っていうより、関心ごとに向き合っていたら、つながっていくっていう感じかな。
自分の問いに向き合う中で、様々な分野の人々と関わってこられた看護師:西村ユミ先生。
その中で、いろいろな人とつながることができたのは、「みんなで一つの目標に向かって、新たな道を切り開いてきた経験であること」と教えてくれました。
そして、「ただ、知り合いレベルでつながるのではなく、同じ関心ごとに向き合い、一緒に試行錯誤を繰り返した経験は、つながりを強固なものにする」と語ってくれました。
確かに、表面上の知り合いを増やすよりも、何かを一緒に創り出してきた人との関係性は深い。
西村ユミ先生の話を聞いたいえだゆうは、これからもいろいろな課題に向き合って、仲間と一緒に、新しい何かを創っていきたいな~と思いました(^_^)
3. キャリアをデザインしたことはなくて、波に乗ってきた感じかな。
最後に、首都大学東京看護学科学科長になられた西村ユミ先生ですが、キャリアは具体的にデザインされていたのでしょうか?
「戦略的にあれこれこうして、将来、自分のキャリを考えて組み立てて」ということを考えたことはなくて、「何かの波に乗っていく」っていうことを結果的にしたのかな?と思います。
千葉大学の酒井郁子教授がこの言葉を使われて、「なるほど」と思ったのを記憶しています。
波に乗る?西村ユミ先生は、職場を何回か変えられておられますが、その都度どのように選択されてこられたのでしょうか?
あまり、主体的に決めた思いはなくて、周りにすすめられたり、出会いがあったり、最終的に自分の意思で決めているのは決めているけど、主体的に決めたのは、博士課程で看護に戻ったことと、首都大学東京の看護科に戻った時ぐらいかな。おそらく、神戸大学の金井教授が述べている「キャリアドリフト」という概念に近い形をとることになったんだと思う。
「大学院に行こう」とか目の前のことはあるけど、長い視点でキャリアを構築したことはない。だから、「結果的に今のようになってしまった」という感じかな。
西村ユミ先生は、現象学的看護研究のスタイルをつくられ、現象学的看護研究の教科書の出版・臨床実践の現象学会を立ち上げ・首都大学東京で現象学的看護研究に興味のある看護師の育成にも熱心に取り組んでおられます。
うっすら見えているけど、まだ、よく見えないんだよね。でも、小さなことをコツコツ始めて、今までになかったわくわくできる新しい装置を作っていけたらいいね。
すでにある枠組みの中にいるより、いろいろなものがミックスされたり、違うもがいろいろとある方が居心地がいいのよ。
意見が合わないこともあるけど、それでいい。みんなが同じ意見っていうほうが気持ち悪いから(^_^)
あとは、教え子たちがメキメキ力をつけているので、これから何をしていくのか楽しみにしています。
自分たちの道を切り拓いていってくれる様子を見届けたいと思います。
4.まとめ
西村ユミ先生。
忙しい中、貴重なお時間をありがとうございました。
西村ユミ先生の人生について、子どもの頃から現在に至るまでの思いを聞かせて頂くことで、いえだゆうにとっても先生の新たな一面をたくさん知ることができ、素晴らしい時間になりました。
お母さんとの関わりで始まった西村ユミ先生のSTORYですが、「先生のスタイルは変わらないな~」と思いました。
それは、目の前の関心ごとに熱心に向き合い、一生懸命になること。
そして、自分のテーマに向き合い、こだわり、その問いに向き合い続ける中で様々な仲間と出会い、新しい道を切り拓いていくスタイル。
研究テーマや『現象学』に出会い、理系分野が得意だった西村ユミ先生が文章を書くようになり、ご自身の新しい魅力を開花されました(^_^)
西村ユミ先生の魅力は、すべてを主体的に計画的にデザインされていたのではなく、時代や場所や人が求めることに応じながら、「波に乗ってきた感じ=キャリアドリフト」で人生を歩み、開花されてきていました。
キャリアといえば、「長期スパンで緻密な計画を立てて、計画通りに道を進めていく」というイメージを抱きがちですが、『キャリアドリフト』という考え方は、人生の節目以外は、周りの意見や出会いの波に乗ってもいいようです♪
しかし、「人生の節目に遭遇した時は、しっかり自分の人生に向き合いましょう!」と言われています。
さあ、これから先も西村ユミ先生の波乗りは続いていきます。
西村ユミ先生の波は、どこにつながっていかれるのでしょうか?
数年後には、西村ユミ先生にも、新しい転機が訪れているかもしれません。
この先のことはわかりませんが、これからの西村ユミ先生の人生も、ますます楽しみです(^_^)
いえだゆうも、先生の後を追いかけながら、自分の道を切り拓いていきたいと思います。
読者のみなさま。
あなたは、今、どんな波に直面されていますか?
もし、今のあなたに、転機が訪れているのであれば、しっかり自分について振り返ってみましょう(^_^)
転機以外の時は、波に乗ってみる!
波に乗りながら、目の前のことに一生懸命向き合っていれば、偶然の産物があなたの新しい可能性を拓いてくれるかもしれません(^_^)
あなたの未来が豊かなものになることを願っています(^_^)
Let’s 魅力開花の旅~♪