【桑原あずさSTORY】1章:桑原あずさのロールモデルは、「未来が見えない時期を乗り越え、好きなコトで輝く母の生き方」にあった!

 

こんにちは。いえだ ゆうです!

 

看護師による看護師のための新しい生き方を応援する情報メディア『看護+ONE』を運営しています。

インタビュー:マイストーリー

いえだゆうが人生の大先輩にお会いし、幼少の頃から今に至るまでのお話を聞かせて頂き、魅力開花のコツを学ばせて頂こう、という企画です♪

 

今回のゲストは、academy sharing a.s.代表「桑原あずささん」です。

 

1章では、桑原あずささんのお母さんと桑原あずささんの少女時代」を旅していきます。

 

どんなストーリーが語られたのでしょうか? 

 

さあ、いえだゆうと一緒に、魅力的な人生の旅に出かけましょう(^_^)

1.初孫だったので、みんなに可愛がられた!

 

いえだゆう
あずささんの小さい頃は、どんなお子さんだったんですか?
あずささん
初孫で長女で長男夫婦の子どもだったので、乳幼児期は、本当に可愛がられました!

 

いえだゆう
へー。そうなんですね。
あずささん

本当に写真を見たらお相撲さんのように太っていて、何もかも与えられていたみたいです。お姫様扱いされている写真ばかりが残っていて、おてもやんみたいな顔してました。

いえだゆう
アハハハ。
あずささん
2歳くらいまではそんな時間を過ごしていました。

あずささんの乳幼児期は、とにかくみんなに可愛がられて、すごく幸せな時間を過ごされていたようです♪

しかし、2歳くらいまでと語ったあずささん。

 

どんな意味が隠されていたのでしょうか?

 

2.二人目の育児で育児に行き詰ってしまった母。

 

その後、あずささんに2歳下の妹さんが誕生します。

とてもおめでたい話なのですが、この時、お母さんは、専業主婦と二人の育児生活を楽しめなくなってしまいました。

 

では、桑原あずささんのお母さんとは、どんな人生を歩んでこられた方なのでしょうか?

あずささん
母は本当に多彩なスーパーウーマンの様な人で、高校時代はなぎなたで全国一位になったり、管理栄養士の資格を持っていたり。
いえだゆう
すごいですねー(^_^)
あずささん

でも、良いことばかりではなくて、学生時代、出たい試合があってもケガで出れなかったり、行きたい大学に行けなかったり。とことんやって、挫折して、また頑張ってという人生を送ってきた人なんです。

 

学生時代、何でもとことん頑張っていたあずささんのお母さん。

社会人になったあずささんのお母さんもとことん頑張り、優秀な社員さんとしてバリバリ働いておられたそうです。

あずささん

その後、母は結婚と同時に仕事を辞めて専業主婦になったんですが、仕事熱心でインテリな感じだった母は、子どもが苦手だったみたいです。でもね、わが子の誕生で母の価値観がガラリと変わりました。

わが子の存在は、本当に愛しく思えたようです!

いえだゆう
うんうん。本当に可愛かったんですね!
あずささん
そうみたいです。でも、二人目がほぼ年子に近い状態で生まれた後は、育児が上手くいかなくなってしまいました。

 

いえだゆう
山あり・谷ありの人生を歩んでおられますね。
あずささん

祖母から聞いたんですが、祖母の家から自宅に帰るときに、電車から降りたくなくてギャーって泣いてしまったり。今でいう育児ノイローゼのような状態になっていたようです。

だから、妹が生まれてからは、私は、祖母の家に預けられることが多くなって、二人目育児が落ち着くまで、私は、祖母に育てられた感じなんです。

 

頑張りすぎの性格から育児疲れを起こしてしまったあずささんのお母さん。

 

あずささんのお母さんの体調がよくなるまで、あずささんは、おばあちゃんの家に預けられることが多くなりました。

 

だから、「おばあちゃん子です。」と語るあずささん。

 

病気がちなお母さんに代わって、おばあちゃんからたくさんの愛情をもらって育てられたそうです。

(その愛情たっぷりに育ててくれたおばあちゃんが数日前に亡くなられたということです。ご冥福をお祈り申し上げます。)

 

3.好きなコトを見つけ、輝く母の全貌を見てきた!

 

祖父母の協力もあり、あずささんのお母さんは少しずつ体調が戻ります。

 

そして、二人目の育児が落ち着いてきたあずささんのお母さんは、輝きを取り戻していきました。

 

さあ、どのようにして、未来が見えない時期を乗り越えて、キラキラ輝ける道を見つけていかれたのでしょうか?

あずささん

そこからね、母はじっとしていられない人で「何かをしたい」って思うようになったみたいです。でも、父は働いてほしくないっていう人で。

いえだゆう
うんうん。
あずささん
家でね、ドライフラワー、ペーパーフラワーを作る通信教育を始めたんです。
いえだゆう
へー。
あずささん

趣味で始めたんですけど、とことんやる人なので、先生の資格を取るまでになって。その時、父がね、「花ばっかり作ってないで、花を入れる入れ物が合ったら良いのにね」ってひとこと言ったそうです。

いえだゆう
うんうん。
あずささん

そこから、はっとひらめいて、籐のかごをつくるようになって。籐にはまって、夜中に母が無心でずっとやっていたことを覚えています。

いえだゆう
へー。
あずささん

今思えば、女性って家事や子育てで昼間は大変で。自分の時間を作るのは、母の場合、夜中しかなかった。

いえだゆう
うんうん。
あずささん

今では、その籐が母の人生のパートナーになっていて、個展を開いたり。作品が日本の芸術作品としてルーブル美術館で世界中の人に見ていただける機会をもらったり、NHKに出演したりしています。

いえだゆう
すごーい!!!
あずささん
専業主婦でしんどそうな時期から、自分が好きなことに打ち込んで輝いていく変貌を見てきましたので、母の影響があるのか、私自身も個人事業主でとことんやることに違和感がないんですね。

すごい復活です!!!

 

本当にとことんやるお母さんなんですね。

 

個展をひらいたり、NHKに出演されたりと、すご過ぎます。

学生時代にのめり込んでいたのは、なぎなただったので、主婦になってからこれまでとは全く異なる道で、すごい人になってしまった。

 

そんなお母さんの姿を見てきたあずささんだからこそ、今、とことん頑張ることができるんですね♪

 

あずささんのロールモデルは、お母さんの生き方にありました!

 

4.まとめ

 

読者のみなさま。

 

今回は、桑原あずささんの幼少期とお母さんの未来が見えない時期を乗り越え、好きなコトで輝く道を旅してきました。

 

学生時代、社会人時代、何事にも負けず、上を目指してとことん頑張ってきた桑原あずささんのお母さん。

 

でも、育児では、頑張り過ぎてしまう性格から、自分らしさを忘れ、息詰まる生活を送ることになってしまいました。

 

しかし、そこからの復活が素晴らしい!!!

 

何か無心になれることを発見したあずささんのお母さんは、ペーパーフラワー、籐のかごを作ることに夢中になっていきます。

 

主婦になってから始めたことで、その道のプロになり大成功をおさめられました。

 

すごいです!!!

 

今回、あずささんのお母さんの話から、いえだゆうは、3つのことを学びました。

  1. 身体・心が悲鳴を上げているときは、頑張らずに、人に甘える
  2. 何か自分が無心・夢中になれることを探す
  3. 新しいことを始めるのに年齢は関係ない

 

何でも一人で頑張り過ぎては、疲れてしまいます。

 

本来の自分の頑張りが出せないときは、無理せず、人に甘えて過ごす。

 

すると、徐々に自分の中から何かをやりたいと思う気持ちが表れてきて、夢中になれることが見つかるはずです。

 

その時がチャンス!

 

思いっきり夢中になってやってみましょう♪

 

きっと、あなたに素敵な時間をもたらしてくれるはずです(^_^)

 

人生、山あり谷あり!

 

どん底に陥っても這い上がるチカラは全ての人に備わっています!

 

もし、あなたが、桑原あずささんのお母さんと同じような苦しい状況にあったとしても、輝けるチャンスはきっと訪れます!

 

さて、次回は、桑原あずささんの学生時代を旅していきます。

楽しみにしておいて下さいね。

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