【宇津崎光代STORY】2章:宇津崎光代が考えた「理想の家とは?」-住育の家

 

こんにちは。いえだ ゆうです!

 

看護師による看護師のための新しい生き方を応援する情報メディア『看護+ONE』を運営しています。

インタビュー:マイストーリー

いえだゆうが人生の大先輩にお会いし、幼少の頃から今に至るまでのお話を聞かせて頂き、魅力開花のコツを学ばせて頂こう、という企画です♪

 

 

今回のゲストは、株式会社ミセスリビング代表:宇津崎光代さん です。

 

 

宇津崎光代さんは、「家事・子育て・介護が楽になる『住育の家』」のプロデュースやコンサルタント、本の出版、講演活動などに邁進されており、73歳の今も現役で元気にバリバリ活躍されています。

 

あなたは、家の中で下記のような悩みを抱えていませんか?

  • 家の中が散らかっている
  • なぜか家事に時間がかかる
  • 子どもや旦那が何にも手伝ってくれない
  • 家族がバラバラで会話が進まない
  • 家の中が暗い

 

住まいや家族の問題に向き合ってきたお母ちゃんのストーリーから、「あなたの気づいていなかった『住まい』や『家族』の問題に気づいたり、今より『家』にいる時間が好きになるきっかけになればいいな~」と思っています!

 

これまでのSTORYはコチラ↓

【宇津崎光代STORY】序章:住まいが変われば家族が変わる!住育で幸せを生み出すお母ちゃん「宇津崎光代さん」に会ってきました~♪ (iedayuu.com)

【宇津崎光代STORY】1章:ミセスリビング代表:宇津崎光代の原点。「家族ってなーに?」 (iedayuu.com)

 

さて、2章では、どんな物語が展開されるのでしょうか?

 

では、早速、宇津崎光代さんのマイストーリーを紹介していきたいと思います♪

 

※本文では、宇津崎光代さんのことを「お母ちゃん」と記載させて頂いています。

 

1.夫との出会いで教師の世界から建築の世界へ。主婦だから気づいたコト!

 

少女から成長したお母ちゃんは、教師の道に進まれました。

教師の道は天職と語られるくらいお母ちゃんは大好きな仕事だったそうです。

 

しかし、転機が訪れます。

建築業界で働かれていた旦那さんと結婚したお母ちゃんは、教師を辞めて旦那さんの建築のお仕事を手伝うことになったそうです。

さあ、そこからどんな道を歩んでいかれたのでしょうか?

いえだゆう
建築の世界は、どんな感じだったんですか?
お母ちゃん
主人の会社の手伝いで、建築現場に出て機会もあり、色々な家を見てきました。
いえだゆう
そこでどんなことを感じられたのですか?
お母ちゃん
当時、建築されていた家はハコを作っている感じで、お母さんに優しくないと感じました。
いえだゆう
たとえば、どういうことですか?
お母ちゃん
  • 洗濯機は1階なのに、何で干すのは2階なの?
  • なんでトイレがこんな離れた所にあるの?
  • 何でこんな高い位置に収納があるの?
  • キッチンの向きが逆じゃない?子どもの顔が見えないよ。

 

などなど、当時の設計方法が、お母さんの負担になっていると思ったんです。

いえだゆう
主婦のお母ちゃんだからこそ気づいた視点ですね。

 

その後、お母ちゃんの疑問を旦那さんに伝えてみましたが、素人のお母ちゃんの言葉に旦那さんは聞く耳をもってくれなかったそうです。

そこで、お母ちゃんは「絶対にプロになってやる!」と決め、3人の育児をしながら、建築・インテリア関係の勉強に邁進していかれたそうです。

 

すごいパワーです!!!

 

2.お母ちゃんが考えた理想の住まいとは?

 

プロになったお母ちゃんはどんなアイデアを出していかれたのでしょうか?

いえだゆう
お母ちゃんはどんな住まいを提案されたのですか?
お母ちゃん

主婦が喜ぶ間取りですね。家の中に一番いるのはお母さん。そのお母さんが幸せになるような間取りを提案していきました。

いえだゆう
反響はどうだったんですか?
お母ちゃん
喜んでくれる機会が増えていきました。
いえだゆう
お母ちゃんの視点が受け入れられたんですね。
お母ちゃん
そして、ミセスリビングという会社も作り、順調そのものでした。
いえだゆう
すごい!有言実行ですね!
お母ちゃん
でも、その後、バブル崩壊とともに、すべてのものを失いました・・・。
いえだゆう
波乱万丈の人生ですね。

 

「主婦目線」を入れたお母ちゃんの間取りは人気となり、旦那さんにも認められ順風満帆な道を歩み始めました!

ところが、バブル崩壊、1999年に旦那さんが病気で亡くなり、自社ビル・自宅・別荘など全てのものを失ったそうです。

お母ちゃんの人生、山あり谷ありです。

 

3.完成した「住育の家」~1万人も訪れる家に~

 

全てを失ったお母ちゃん。

 

その後、どうして成功できたのでしょうか?

いえだゆう
お母ちゃんは、どのように復活していったのですか?
お母ちゃん
家も自社ビルも全てを失ったことで、気づいたことがあったんです。
いえだゆう
それは何ですか?
お母ちゃん
家族です。私のそばに、子どもたち3人がいました。その子どもたちの存在が私の救いであり、パワーの源でした。
いえだゆう
大事な存在に気づかれたんですね。
お母ちゃん
また、私には、「母を助けたい」という強い思いがありました。
いえだゆう
子どもの頃からの思いですもんね。
お母ちゃん
私の母という存在に始まり、「世の中のお母さんを笑顔にしたい」「幸せ家族を増やしたい」という強い思いが私を突き動かしていたんだと思います。

 

どん底の中で気づいた家族の絆やお母ちゃんのミッション。

そこから理想の幸せ家族を生み出す「お母ちゃんの住育の家」が誕生しました。

 

「お母ちゃんの住育の家」には、今までの経験から培った「幸せ家族になる秘訣」がたくさんありました。

  • 「ただいま!おかえり!ワクワク帰りたくなる家!」
  • 「家族の会話がはずむダイニング!」
  • 「みんなが自然にあつまりたくなるリビング」
  • 「家族の気配がわかる空間」

 

そして、お母ちゃんが設計した住育の家はたくさんの人に広がり、今では、全国・海外から約1万人の方々が訪れるまでになったそうです!

 

4.まとめ

 

教師の世界から建築の世界へ。

 

全くド素人だったお母ちゃんが、山あり谷ありの人生を経てたどり着いた「住育の家」。

 

お母ちゃんは言います。

「住まいの主役は、そこに暮らす家族。その家族が幸せになるような家づくりを支援したいんです。」

 

 

お母ちゃんの人生経験から「家族を中心にした家づくりが幸せ家族になる秘訣」と分かりました。

 

1章でお母ちゃんが「家族がバラバラ」と感じていたのは、家族の暮らしを中心にしていない家の間取りにあったんですね。

 

 

お母ちゃんのストーリーを読んで、もしかしたら「住まいに問題があるかも?」と思われたり、「住育の家」に興味を持たれた方。

 

家づくりで実験・検証・実践・研究されてきた半世紀の経験をもとに、お母ちゃんが暮らしの悩み相談や見学も受け付けてくれます。

 

いえだゆうもインタビュー中に、悩みを聞いて頂き心が軽くなりました!

 

ぜひ、ホームページにアクセスしてみて下さいね♪

 

住育の家で素敵な住まいがたくさん誕生しています!

 

3章では、お母ちゃんの今後の夢について書いていきます!

 

楽しみにしておいてくださいね!

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