こんにちは。いえだ ゆうです!
看護師による看護師のための新しい生き方を応援する情報メディア『看護+ONE』を運営しています。
インタビュー:マイストーリー
いえだゆうが人生の大先輩にお会いし、幼少の頃から今に至るまでのお話を聞かせて頂き、魅力開花のコツを学ばせて頂こう、という企画です♪
今回のゲストは、大阪大学COデザインセンター教授・副センター長の「池田光穂教授」です。
1章では、池田光穂教授の子ども時代から研究テーマを発見するまでの時代を旅していきます。
どんな少年で、どんな道を歩んでこられたのでしょうか?
さあ、いえだゆうと一緒に、魅力的な人生の旅に出かけましょう(^_^)
1. ヤンチャで落ち着きがなかった子ども時代
今では、教授職についておられる池田先生ですが、ご自身が学生の頃は、先生の言うことを素直に聞く優等生タイプではなかったようです(笑)
小学生時代は、じっと座って集中することが難しかったそうで、ご自身で、「学習障害があったんやと思う」と語られていました。
しかし、学習障害があることを気にすることなくのびのび育った池田光穂先生。
お母さんのたっぷりの愛情が影響していたのでしょうか?
ここで、一つ疑問がよぎりました。
勉強嫌いと語られた池田光穂先生ですが、今では、大阪大学の教授。
はてさて、どのようにして、研究の道に進んでいくことになっていったのでしょうか?
2. 「大自然の中でニホンザルの研究」から、「実験室でネズミの研究」に変更
これまでスポーツばっかりしてたんだけど、大学では、音楽鑑賞会というサークルに入って、音楽ばかり聞いていました。そこで、出会った先輩の中に格好良い人がいて、気づいたら、子分になってました(笑)
「その人は、世のため人のために仕事するというより、好きなことをしようよ!」っていう人で、みんなで夜な夜な、いろんな夢について語り合いました。
そこから、「自分の関心のあることが研究できる大学の勉強って面白いな~」と思うようになって、熱心に勉強するようになりました。
人生、どこで、どんな出会いがあるか分かりません。
池田光穂教授が勉強に目覚めたきっかけは、「好きなことをとことんしようよ!」という先輩に出会ったことでした。
「世のための人のために仕事をしなければならない」と思い込んでいた池田光穂教授ですが、「自分が好きだ!」と思うことをとことんやってみたらいいんだ!という思いに変化してからは、目の前の勉強にのめり込んでいかれたそうです。
では、どんな研究に取り組んでいかれたのでしょうか?
卒業論文では、ニホンザルの食べ物の研究をしていました。大自然の中で暮らす猿が、どんな食べ物を食べて過ごしているのかという研究で、ニホンザルの動向をずーっと観察してました。
何百匹といる顔を覚えるのが大変で、数ヶ月かかりました。
そう。慣れてきたら違いが分かるようになるんだけど、それまでが大変。けど、大自然の中で過ごす何百匹のサルの様子を見て、多様性に触れられたことは、大きな学びになりました。
ちょうど大学の仲間と進路の話をしていた時に、友人が京都大学の水産学部で生物の研究をすることを知り、俺もやりたいと思って、真似して大学院を受けたの。でも、倍率も高くて、最終的に受かったのが、大阪大学の医学科でした。
解剖室での研究スタイルから、池田光穂教授の研究テーマである「文化人類学」と、どこでどのような出会いがあったのでしょうか?
大学では、スポーツに明け暮れた生活から一転して、音楽三昧の生活。
そこで、出会った先輩との出会いがきっかけで、池田光穂教授は、大学での勉強の面白さに目覚めていかれました。
不思議なご縁がその後も続き、ニホンザルからネズミと研究スタイルを変化させて、研究生活に明け暮れておられました。タイプの研究
を通
ただ、同じ動物の研究でも、大自然に囲まれながらの研究スタイルと、実験室の中にこもりっきりの研究スタイル。
して気づいた!俺は、人間のことを知りたいんだ!
このような異なる研究スタイルに触れたことで、池田光穂教授の中に変化が生まれていました。
そうなんだよ。大自然の中で過ごしてきた研究生活から一転して、暗い実験室の中での研究生活。暗い実験室にいると、「俺は、何がしたいんだ?」・「こんな研究がしたかったのか?」と色々と考えることが多くて。
全く異なるタイプの研究をしたからこそ、自分がやりたい感覚と何かが違うことに気づかれた池田光穂教授。
そこで、気づいたことは何だったのでしょうか?
そう思った池田先生は、色々な研究室を探す旅に出て行かれたそうです。
3.まとめ
読者のみなさま。
いかがでしたか?
まったく勉強に興味のなかったヤンチャな少年が、生き様の格好良い先輩に出会い、大学の勉強に目覚め、研究の道に進んでいくこととなりました。
今では、何百という研究報告を発表され、専門書もたくさん出版されている研究のプロになった池田光穂教授。
しかし、子どもの頃から、勉強に興味があったわけではありませんでした。
池田光穂教授は、その都度、目の前の興味のあることに取り組んでおられました。
その結果、自分が大事にしたい感覚と異なる場合は、進路を変えて、自分のやりたい道を探しておられました。
池田光穂教授の人生から学んだことは、「何でもやってみないと分からない!」ということ。
そんな思いに至りました(^_^)
高校時代の池田光穂教授は、身体が細くて、ハンマー投げに向いているタイプではなかったそうです。
たまたま、ハンマー投げをする機会があり、やってみたら良い結果が出た。
そこから、猛練習して近畿大会で入賞するまでに成長されたそうです。
また、どんな研究がしたいのかはっきりと決まっていなかった池田光穂教授。
流れにまかせて、いろいろな研究に取り組んでいた中で、自分のやりたい感覚と異なる感覚を経験された時に初めて、自分のやりたい道を見つけられました。
もしあなたが、「これがやりたい!」と、はっきりと見えていないから何も始められないと思ってしまうタイプなら、とにかく、目の前にあることを一生懸命やってみませんか?
目の前のことに一生懸命取り組んでいると、色々な自分に気づくし、新たな発見もある!
取り組んでみた結果、自分のやりたかったことと異なっていれば、道を変更すればいいんです。
最初から自分のやりたいテーマが見えている人もいれば、やりながら見えていく人もいます。
あなたは、どのタイプですか?
悩み続けて一歩も前に進めないという人生より、遠回りでもやってみて、「違ったからこっちに進もう!」と思う人生の方が、経験知が高まっているため、前に進んでいると言えます!
次回の告知
さあ、「自分のスタイルと異なる研究スタイルに出会い、人間のことを知りたい!」という思いに至った池田光穂教授。
その後、どんな人生の旅を歩んでこられたのでしょうか?
次回は、いよいよ「文化人類学」に深く関わったストーリーについて語ってくれています。
ぜひ、楽しみにしておいてくださいね~(^_^)